ここには、藤原時平の娘で、宇多法皇の愛妃・褒子(よしこ)の邸宅 「京極院」がありました。 宇多法皇の名は『源氏物語』の中でも、何回か出てきていますが、 それについては、宇多上皇の御所であった「亭子院」のところで詳 しく書かせていただきますね。 なお、褒子への寵愛については、【河原院】あれこれ(2)源融にま つわる 説話と伝承について の中でも触れていますので、ご興味 をお持ちの方は そちらもご覧下さい。 さて、現在この地は 京都御苑の東北角にあたります。 というわけで、まずは京極院跡地の紅葉をご覧下さい。 |
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こちらは、京都御苑の東側の一番北にある石薬師御門です。 |
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そして、この門の向こう側に見えている 蔦の絡まっている建物の 名が京極小学校なのでした。 |
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当時の建物は残っていなくても、こういうところに、歴史を感じられ る名残がちゃんとあったんですね! 次の写真は、石薬師御門をいったん出て、石薬師御門から京都 御苑の中、つまり「京極院」跡地を見たところです。 |
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最後に、私がこの場所を申請した理由についてお話ししたいと思 います。 理由の一つは、この町が平安京の丑寅にあたっていたからです。 つまり、もしも、悪霊や怨霊など、ほんの少しでも邪悪なものが こ こバーチャル平安京の中に入ってきそうになった時には、やはり 管理人である私が この町でふんばって(笑)、ブロックしなくてはい けないんだろうなぁ! と殊勝にも思ったわけですね。(゚-゚)b 何と申しましても、縁あってバーチャル平安京にお住み下さるみ なさま方には、気持ちよくお過ごしいただきたいですもの。(^o^) まっ、それはそれでもちろん私の本心ではあるのですが、実は、 さらに重大な理由が別にありました。 何を隠そう バーチャル平安京の住居可能な町の中で、紫式部の 邸宅に一番近かったのがココだったのです。(本当はもう少し南 のほうがよかったのですが、しかたありません。(^^ゞ) 紫式部の曾祖父で、歌人として有名な藤原兼輔は「堤第」に住ん でいたことから堤中納言と呼ばれていました。その「堤第」を 紫 式部の父・藤原為時が伝領し、紫式部もそこで暮らしていたと言 われているのです。 かつて「堤第」のあった場所には、現在、廬山寺が建てられてい ますが、そこに一番近いのが、(住居可能な町の中では)ココ京 極院跡地であったというわけなのでした。 |
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