左京北辺四坊七町

染殿



藤原北家への廟堂の権力の集中を積極的におしすすめ、人臣摂政の初例ともな
った藤原良房(804〜872年,延暦23〜貞観14)は、娘 明子(あきらけいこ)を文徳
天皇の妃としました。病のため、染殿に引きこもることも しばしばあった明子は、
この邸にちなんで「染殿后」と呼ばれています。

また、良房の姪 藤原高子(たかいこ)は、清和天皇の女御となり、この染殿で
陽成天皇を産んでいます。高子と言えば、『伊勢物語』の中で説話化された
在原業平との恋が有名ですよね。

この良房の邸宅は「染殿花亭」と呼ばれるほど 花の名所としても知られており、
とりわけ桜がみごとでした。

『三代実録』によれば、貞観8年(866年)の春、清和天皇の行幸をえて、ここ
染殿で観桜の宴が開かれた時に、京中の貧窮者たちをこの邸宅のすぐ東にあ
る鴨川辺りに集めて、新銭五万文、飯二千五百裏(か)を頒給する という善行も
行われたとのことです。染殿での桜花の法会も有名ですよね。


さて、現在、染殿を偲ぶものとしては、梨木神社の「染井」があります。

梨木神社は京都御苑の東側中央にある清和院御門を出てすぐ北のところ、寺町
通りに面して建てられていますが、この門の名が「清和院御門」となっているのも、
清和天皇の母となった 明子が「染殿」の町の南半分を清和上皇の後院とするた
めに提供したことに由来しています。

さて、この染井は、祐井(=さちのい)県井(=あがたい)とともに、御所三名水
のひとつに数えられており、また、醒井(=さめがい「左女牛井」とも),県井と並ん
で、京の三名水にも数えられています。他の井戸がすべて枯れてしまった中で、
ここ梨木神社の染井だけは、現在でもおいしい水がいただけます。

実際、私が行った時も、空のペットボトルを抱えた人たちが次々に訪れては 水
を汲んでいかれました。案内板には「 ペットボトル3本以上はまた並んで下さい」
と書かれているくらい おいしいお水で有名なのです。

さらに、この染井は、宮中御用の染所として、御所での衣装を鮮やかに染めた井
戸としても伝えられています。

また、染井のすぐそばには、御神木の桂の古木「愛の木」があり、この木に手を
触れながら思いを念じると、恋が叶うということです。

梨木神社は、萩の名所としても有名で、毎年9月の第三日曜日には萩祭りが行
われています。境内には約500株の萩がありますが、それら萩の枝のそこかしこ
に  一般の方が詠まれた俳句が飾られています。狂言や舞踊などの奉納もあり、
茶会も催されます。


さて、最後に、染殿と『源氏物語』の関係について。

染殿の主である良房の名は「少女」の巻で登場してきます。

  朔日にも、大殿は御歩きしなければ、のどやかにておはします。
  良房の大臣と聞こえける、いにしへの例になずらへて、白馬ひき、
  節会の日、内裏の儀式をうつして、昔の例よりもこと添へて、い
  つかしき御ありさまなり。


この場面、正月七日に宮中で白馬節会が行われた後、良房の大臣の先例にな
らって、源氏の私邸である二条院にまで白馬が引かれた……となっています。
(詳しくは、「良房の大臣と白馬節会」をご覧下さい)

もっとも、良房に限らず、白馬節会が貴族の自邸で行われたという史実は、現存
の文献からは 見出せません。

しかし、臣下の邸で白馬の節会が催された その先例として引くにふさわしいと
『源氏物語』の筆者がここで判断したほどに、良房の大臣の権勢はゆるぎない
ものとして 当時の人々に認識されていたのでしょう。

みなさまも 良房の染殿を偲び、京都御所の東側に隣接している梨木神社を訪
れてみられてはいかがでしょうか。
紫式部がここに住んでいたのではないかとされている廬山寺も ほんのすぐ近
く という場所ですから、まだ行かれたことのない方には、ぜひともお勧めしたい
スポットです。(^o^)


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