襲芳舎(雷鳴壺)
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この地図は『平安京提要』「平安宮内裏復元図」を参考にして作りました。 |
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襲芳舎(しゅうほうしゃ)は凝花舎の北、内裏の西北の角にあり、古今抄 によれば、襲芳は「しほう」と読むのが読みくせだということです。 |
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参考文献:『大内裏図考証』巻十八 |
身舎(もや)は東西五間,南北二間で、四方に庇があり、さらにその周囲 に簀子がめぐらされていました。また、南側の西には、凝花舎に通じる 渡廊がありました。 庭に霹靂の木があったところから「雷鳴壺」とも言われますが、はたして 霹靂の木とはどんな木であったのか、それについてはわかっていません。 もちろん、霹靂の木などという種類の木はなく、落雷で焼けた樹を霹靂の 樹と呼んでいたようですが、具体的なことになると、謎ばかりです。 「類聚国史」巻七十三によれば、天長7年(830年)7月、天皇が神泉苑で 相撲をご覧になっていた時、雷雨になり、内裏の西北の角の曹司に霹靂 があって、左右近衛が駆けつけて、神火を撲滅したといいます。 内裏の西北の角の曹司とは、まさに襲芳舎のことですし、その時の火を 「神火」と記していることなどから考えてみますと、この時の雷で焼けた 樹に 何らかの神性が付与されて、そのまま庭に残されることになったの かもしれません。 さて、「古今集」には、襲芳舎で宴が行われた時の歌が二首載っていま す。 〇凡河内躬恒(巻四秋上より) 雷の壺に人々集まりて、秋の夜惜しむ歌よみけるついでに詠める かくばかり惜しと思ふ夜をいたづらに寝て明かすらむ人さへぞ憂き 〇紀貫行(巻八別離より) 雷の壺に召したりける日、大御酒などたうべて、雨のいたう降りけれ ば、夕さりまで侍りて、まかり出で侍りける折りに、盃をとりて 秋萩の花をば雨に濡らせども君をばまして惜しとこそ思へ |