昭陽舎(梨壷)



この地図は『平安京提要』「平安宮内裏復元図」を参考にして作りました。

石碑を置いた場所をクリックしてみて下さいね!


昭陽舎 (しょうようしゃ)は内裏の北東部にあって、淑景(しげい)舎の南,
麗景殿の東に位置します。南庭に梨を植えたことから「梨壷(なしつぼ)」
とも称されました。

身舎は五間,二間で、その四面に庇がついていました。

天暦5年(951年)10月、村上天皇の勅命により、梨壷の一角に撰和歌所
が置かれ、別当には左近少将藤原伊尹(これただ)が任ぜられました。
そして、讃岐大掾大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ),河内掾清原元輔,
学生源順(みなもとのしたごう),近江少掾紀時文,御書所預坂上望城(かの
うえのもちき)らが『後撰和歌集』の編纂と『万葉集』の訓釈に当たったので
す。

この5人が「梨壷の五人」と称されたのは、みなさまもご存じのとおりです。

昔梨壷のいつゝの人といひて、歌に巧なる者あり。いはゆる大中臣能
宣、清原元輔、源順、紀時文、坂上望城ら是なり。
(『後拾遺和歌集』序)

清少納言ファンの私としましては、彼女のお父さまがここにおられたんだ!
と思いますと、ついドキドキワクワクしてしまいます。(^^ゞ

また、梨壷は、敦良親王(後の後朱雀天皇)の時からは、東宮の御所とも
なりました。

『栄花物語』巻三十四には、内は梨壷になほおはしませばとの記述が
ありますし、『源氏物語』「澪標」巻にも、梨壷に春宮はおはしませば、
近隣の御心寄せに、何ごとも聞こえ通ひて、宮をも後見たてまつりた
まふ。
と書かれていました。

さて、梨壷を賜った歴史上の女性としては、藤原安子が有名でしょう。
ご存じ藤原師輔の娘で、村上天皇の中宮となった方です。
09)飛香舎でも書きましたように、彼女はあちこちの殿舎に移り住んでいま
すが、彼女が梨壷にいたのは、ちょうど内裏が新造中で、天皇が麗景殿に
いらした時のことでした。つまり、天皇のおられる麗景殿に一番近い殿舎
が梨壷だったので、安子もそこに移り住んでいたというわけです。
                                                 


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