淑景舎(桐壷)



この地図は『平安京提要』「平安宮内裏復元図」を参考にして作りました。

石碑を置いた場所をクリックしてみて下さいね!


淑景舎(しげいしゃ)(「しげいさ」とも)は内裏の北東隅にあり、
庭に桐を植えていたことから「桐壷(きりつぼ)」とも称します。
昭陽(しょうよう)北舎の北,宣耀(せんよう)殿の東に位置し、
後宮の殿舎の中で、天皇の居住した清涼殿から最も遠い場
所に置かれていました。

東西五間,南北二間の身舎の4面に庇を付けた建物で、東
には孫庇があり、南北西には簀子がめぐらされています。

さて、淑景舎を賜った歴史上有名な人物といえば、やはり、
藤原原子の名を挙げることができるでしょう。

原子は藤原道隆の娘で、三条天皇の女御です。14)登華殿
のところでも、『枕草子』108段から、姉の定子と登華殿で対
面したときの様子を詳しくご紹介しましたが、原子のことを
定子が「いとうつくしき君ぞ」と言っているくらいですから、
本当にとてもかわいらしい方だったのでしょうね。(*^^*)


次に、源氏物語で桐壺を賜っていた人物を見ていきましょう。

〇桐壺更衣

御局は桐壺なり。あまたの御方がたを過ぎさせたまひて、
ひまなき御前渡りに、人の御心を尽くしたまふも、げに
ことわりと見えたり。(「桐壺」)


このあたりに関する詳しいことは、07)後涼殿のところで書き
ましたので、そちらを参考になさって下さい。あれこれと言わ
ずとも、当時の読者にとっては「御局は桐壺なり。」の一文
だけで、彼女の置かれている境遇がピンときたことでしょう。

〇光源氏

内裏には、もとの淑景舎を御曹司にて、母御息所の御方
の人びとまかで散らずさぶらはせたまふ。(「桐壺」)


この大臣の御宿直所は、昔の淑景舎なり。梨壷に春宮は
おはしませば、近隣の御心寄せに、何ごとも聞こえ通ひ
て、宮をも後見たてまつりたまふ。(「澪標」)


光源氏は、母更衣が使っていた淑景舎を世襲し、元服までは
もちろん、成人した後も、淑景舎を曹司とすることを許されて
いました。
あの雨夜の品定めの舞台となった 源氏の御宿直所も、こ
こ淑景舎のことだったのです。

〇明石女御

この御方は、昔の御宿直所、淑景舎を改めしつらひて、
御参り延びぬるを、宮にも心もとながらせたまへば、四月
にと定めさせたまふ。御調度どもも、もとあるよりもととの
へて、御みづからも、ものの下形、絵様などをも御覧じ入
れつつ、すぐれたる道々の上手どもを召し集めて、こまか
に磨きととのへさせたまふ。(「梅枝」)


源氏の一人娘である明石姫君もまた、入内の際には、淑景
舎を賜っています。もちろんこれは、源氏の母更衣の時と違
って、そこしか与えられなかったというのでは 決してありま
せん。

明石姫君は東宮に入内したわけですから、上記「澪標」巻か
らの引用にも梨壷に春宮はおはしませば近隣の御心寄
せに
とありましたように、東宮のおられる梨壺に一番近い殿
舎である淑景舎に入られたのでしょう。

もっとも、明石姫君の場合は、望めばどの殿舎でも叶う立場
であったにもかかわらず、中宮になられた後でさえ淑景舎に
住み続けておられますから、便利さよりも、光源氏の母更衣
→光源氏→明石女御へと 三代にわたって世襲されてきた
その歴史と思い出のほうをこそ大事にしているのかもしれま
せんね。
                                        


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