宜陽殿



この地図は『平安京提要』「平安宮内裏復元図」を参考にして作りました。

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宜陽殿(ぎようでん=「儀陽殿」とも)は紫宸殿の東、綾綺殿(りょうきでん)
の南にあります。
紫宸殿の南庭は、その西側を北から順に、校書殿(きょうしょでん),月華
門,安福殿が取り囲みますが、それと左右対称をなす形で、東側には、
この宜陽殿,日華門,春興殿が並びます。

天長4年(827年)には、宜陽殿の存在が確認できることから、平安宮創
建の時から設けられた殿舎であろうと推定されています。

南北九間,東西二間の身舎(もや)の四面に庇(ひさし)をつけた建物で、
身舎に作られた塗篭には、天皇所持の書物,楽器,甲冑などの宝物が
収蔵され、納殿と呼ばれていました。

『西宮記』によれば、累代の御物は宜陽殿に、恒例の御物は校書殿の
蔵人所と綾綺殿に、紙御屏風は仁寿殿に、それぞれ収蔵されたという
ことです。

宜陽殿に収められた御物について、『枕草子』97段には

御前に候ふものどもは、琴も笛も皆めづらしき名つきてこそあれ。
琵琶は玄象、牧馬、井手、渭橋、無名など、また和琴なども、朽目、
鹽竈、二貫などぞ聞ゆる。水龍、小水龍、宇多法師、釘打、葉二、
なにくれと多く聞えしかど忘れにけり。宜陽殿の一の棚にといふ言
草は、頭中将こそしたまひしか。


と、また、『源氏物語』「若菜上」巻には、

琴は、兵部卿宮弾きたまふ。この御琴は、宜陽殿の御物にて、代々
に第一の名ありし御琴を、故院の末つ方、一品宮の好みたまふこと
にて、賜はりたまへりけるを、この折のきよらを尽くしたまはむとする
ため、大臣の申し賜はりたまへる御伝へ伝へを思すに、いとあはれ
に、昔のことも恋しく思し出でらる。


と記されています。まさしく、超一級の品が収められていたのですね。

さて、西庇の北の二間は公卿座とよび、紫宸殿で行事のある際の公卿
の座となっていました。また、ここでは、天皇が出席なさらないときの節
宴を行うこともありました。

東庇には一の大臣の宿所と上官侍があり、元慶2〜5年(878〜881年)
には、善淵愛成らがここで「日本紀講筵(こうえん)」つまり『日本書紀』の
講義を行ったことが有名です。

また、南庇の東の二間には議所(ぎのところ)があり、叙位や除目(じもく)
が行われていました。
                                               


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